連載:気まぐれゲーム雑記 第1065回:ゲームを語るのは難しいかもしれないけど、ゲーム体験がどうだったのかを全力で語ろう?
みんな、ゲームやろうぜ!
どう語るのかは個人の自由なので、ドシドシ語りましょう
AZです。「ヒドラ」というB級すぎる映画を見たのですけれども、「コレが2008年の映画か……!」とモスマン同様の感想になってしまった事をご報告させていただきます。
それはさておき、過去から現代、そしてこれからのゲームの批評について語っている記事が電ニコファミゲーマーで公開されています。大変アカデミックな感じでスケールが大きい話題ですが、何となく過去から今に至るまでのゲームレビューがどういったモノになっていたのかが分かるかもしれないので、興味があれば全文を読みで見ると良いでしょう。記事はこちら。
当ブログでもレビューなんてモノを書いておりますが、ちらほらどこかの記事でも書いている通り、ゲームのレビューというのは「すっごく燃費が悪い」代物だったりします。何故ってそりゃ、そもそも「ゲームの面白味or問題点を見出すのにクリアする事が求められるから」に他なりません。要するに、時間がかかるんです。実は、当ブログの最新レビュー“サバクのネズミ団!”も、「30時間以上プレイして行き着いた文章」なのです。だからみんな、“サバクのネズミ団!”をやりましょう。端的にいって、面白いですよ? アレ。
……話を元に戻しまして。ゲームを語る事についてストイックな言い方をしてしまいますと、その商品(ゲーム)の性質を理解する為の手間がもの凄くかかる(クリアするのに時間がかかる)のが面倒なところ、とも言えます。で、“簡潔”に「読んでいる人達にとって買いなのか否か」を提示するとなると、ファミ通のクロスレビューとか商業メディアのレビュー的なカタログ紹介に行き着いてしまうわけです。まぁ、アレもまた一つの答えであることに間違いはありません。ただ、アレって「金銭的な価値」を考慮していない感じが凄いので、もうちょっとどうにかしていただきたく思う所存にございます。
そもそも、今の時代はレビューの在り方が多様化してきました。昔は文章と画像だけでどうにかして面白さを伝えようとしていたところへ、「リアルタイムレビュー」と言っても過言ではないゲーム実況なんてモノが登場したわけです。あれもまた、ゲーム語りの一つである事に間違いはありません。わたくしめはしゃべるより文章にまとめて「面白いorつまらないよ?」と訴えたい人間なのでどこまでも文章で勝負し続けるとは思いますが、商業ゲームメディアもこぞって公式番組で情報配信しておりますし、今後もゲーム実況は賑わい続ける事でしょう。
以前から申しておりますが、私はレビューを「書いた人or語った人の主観を文章化したモノ」であると考えています。根本的に、「面白い」「つまらない」という感情自体が主観である以上、その2つに焦点を当てたらそりゃまぁ、主観なモノが登場するのも当然といいましょうか。もちろん、アカデミックな切り口で、より客観的に、ジャンルの歴史や世代観を考慮した批評を否定するつもりはありませんし、むしろそちらの方が正しい意味で批評に近しいモノになるとも思えますが、誰も彼もが皆批評家になる必要もないでしょう。ゲームが娯楽であるならば、「面白い」「つまらない」と思う理由は何なのか、それを語るだけでも良いと思うわけです。そういう意味で、もっと気軽にゲーム経験を語るもよし、解説するもよし、分析するもよし、考察するもよし、理路整然としている限りどのようなレビューがあっても良いし、どんどん増えて欲しいと願って止みません。今後も、多くのゲームに色んなレビューを書く人達が増えていく事を期待したい限りですね。
:なんかこう、ゲームを語る事についての記事があったので、とりあえず話に乗ってみました。
:あまり、小難しく考えすぎない方が良いとも思うがな。
:ゲームを語るのは「大変」かもしんないけど、結局なところシンプルに「面白い」か「つまらない」かを語れば良いのだとも思ってるよ。だって、どう足掻いてもその人の「主観」だからね。商業メディアじゃあるまいし、面白いorつまらないに対して、金銭を払った以上は好きにもの申すくらいかまわんって思うよ。……だから皆々様、色んなゲームについて大いに語るブログを作るところから始めよう?
:……その時点で、地味にハードル高くね?