連載:気まぐれゲーム雑記 第924回:ゲームプレイがプレイヤーの物語になるゲームは今後どれほど出てくるか

どちらもあって良いのです

プレイヤーの体験とキャラクターの追体験のどちらが良いか

AZです。PC海外版Fallout4でウェイストランドへ行く準備は万端です。

それはさておき、「Deus Ex」や「Epic Mickey」などで知られているWarren Spector氏が、「Uncharted」や「Heavy Rain」などのストーリーテリング方式が持つ問題点を指摘している事でほのかに話題となっているようです。

ビデオゲームは唯一無二の共同ストーリーテリングが可能なメディア媒体であるとするSpector氏は、ビデオゲームはインタラクティブ映画ではないので、双方向性メディアとしての優位性を生かすべきだと主張。自らの優秀さをひけらかしたいなら、ビデオゲームではなく映画を作るべきだとしている。

Spector氏は、ビデオゲームがプレーヤーに与える自己表現能力が最も低い例として、Naughty Dogの『Uncharted』を挙げている。

Warren Spector
このようなゲームが悪いわけではないが、ゲーム世界への関与を制限するものであり、物語は語り部の望む形で紐解かれていく。自己表現能力が極めて制限されているんだ。次の物語展開に進むための予め定められた道筋を、いかに進んでいくかという点がメインだ。

物語自体は素晴らしく、私がゲームで語ることができるどんな物語よりも優れているだろう――しかし、それはプレーヤー、君たちの物語ではないんだ。

プレーヤー自身が物語を形作ることを売りにしているTelltaleやQuantic Dreamのアドベンチャー・ゲーム『The Walking Dead』と『Heavy Rain』は、プレーヤーに選択の自由があるという「幻想」を与えるに過ぎないとSpector氏。

Warren Spector
私は『The Walking Dead』が大好きだが、プレーヤーに突きつけられる選択肢は、とても魅力的ではあるものの、開発者主導であってプレーヤー主導ではない。このようなゲームに登場する選択肢はどれも、どこかのデザイナーが書き上げたものであって、その選択がもたらす影響も、開発者によって予め決まっている。プレーヤーが実際にできることは、極めて限られているんだ。

『Heavy Rain』は素晴らしい体験だ。最高の物語を語ることができる。ゲーム開発者として、私が人生をかけても語ることができないレベルだろう。しかし、そのような優れた物語を語ることができるのは、驚くような行動を取ったり、予定にない行動を取ることがプレーヤーには無理だからなんだ。基本的に5本の映画脚本を混ぜ合わせたようなもので、プレーヤーはただその時々で脚本を選んでいるに過ぎないんだ。

ビデオゲームの特徴を活用できていないゲームによって、ゲーミングがマンネリ化していると語るSpector氏。格闘ゲーム全般や、『Dishonored』『Fallout』『Deus Ex: Human Revolution』『The Sims』といったゲームは、双方向性メディアとしての優位性を生かすことに成功しているとしながらも、全体としては決して充分ではなく、ビデオゲームが21世紀の媒体として確立されるためには、ユニークな共同ストーリーテリングの強みを生かすべきだとデベロッパーを鼓舞。ゲーマーに対しては、開発者自身よりもプレーヤーを優先させるゲームに、財布で投票すべきだと締めくくっている。

[引用元:Choke Point

言わんとしたいことは大変よく理解できます。

氏の主張をざっくりまとめると、映画的なゲームのストーリーをなぞらえるようにゲームをプレイするというのは、プレイヤー自身の物語ではなくキャラクターが織りなす物語の追体験に過ぎないのは明白で、ゲームというメディアはゲームプレイそのものをプレイヤーの物語にする事が可能なメディアである以上は、そういった方面の強みを活かすべきだという主張になります。要するに、プレイヤーの意志決定が介入すること自体がプレイヤーの物語になればいい、といったところでしょうか。

ゲーム体験そのものをプレイヤーの物語とするゲームが良いか、それとも映画のようにキャラクターに対して感情移入させるようなゲームが良いのか、どちらが良いというのは一概に言い様がありません。ゲームとして成立させつつもストーリーでも魅せたいという場合はキャラクターを用意した方が感情移入しやすいでしょうし、ストーリーはおまけでゲームシステムをより遊びたいという場合は、プレイヤーが主人公でも問題はないでしょう。ようは、遊ぶ側が何を求めたかで、どちらが良いのかは決まってくる様な気はします。

映画らしいゲームも、そうじゃないものも今なおちゃんと存在しているというのは、それらのゲームに需要があるからに他なりません。むしろ、ゲームは広く色んなジャンルが存在しているわけですし、どちらかだけがあれば良いという事もないでしょう。もちろん、マンネリ化を防ぎたいという意味も理解できるので、新しい方向を模索するタイトルが出てくれば、それはそれで十分に価値がある議論にも思えます。

ゲームというメディアは、スケールが大きくなったからこそ映画らしいモノが作れるようにもなりました。そういった中で、ゲームだからこそできる物語の提供というのは、他の娯楽との差を作る意味でも非常に重要な部分と言えるでしょう。各メーカー様におかれましては、今後ともより一層良い物を作り続けて欲しい限りですね。……ただし、マンネリ化には注意して頂ければそれ幸いです。

連載:気まぐれゲーム雑記 第924回:ゲームプレイがプレイヤーの物語になるゲームは今後どれほど出てくるかに関するしょぼーんさんとしゃきーんさんのゲーム座談会

しょぼーんさん:ゲームのストーリーについての話題が出ておりましたので、まぁつまり好みの問題ってことでオチを付けようぜ? と思うわけで。

しゃきーんさん:マンネリ化を避ける意味では、色んなジャンルが出てくりゃ良いとは思うがな。

しょぼーんさん:そだねぇ。ストーリーを一方的に見せる娯楽は映画も小説も該当するから、ゲームはその優位性を利用しようぜ? って事なら理解はできる話っすな。そういうゲームがどんどん出てくりゃいいんじゃない? ……ウケるかどうかは別問題っすけどネー。

しゃきーんさん:商業ベースなら、結局は売れないと続かないもんな……。

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