連載:気まぐれゲーム雑記 第842回:長寿シリーズは誰に受けるべきモノか?
柔軟に対応できない人達がシリーズを殺す
熱心なファンほど扱いが難しいようです
AZです。熱心なゲーム好きですが、「自分が買ったモノは絶対面白い」なんて幻想を微塵も抱いていないタイプです。
それはさておき、Ubisoftのマーケティング担当であるTony Key氏が長寿シリーズのリスクについてを語っております。
Tony Key
年刊『Assassin’s Creed』で難しいのは、十分に新鮮なコンテンツを生み出す必要があることだ。新フィーチャー、新たなプレー方法、新キャラクター、新たな舞台設定など、毎年購入する価値があると思わせるものにしなければならない。その部分は必ずしも大変なことではないんだ。チームには2年の猶予があって、常に新フィーチャーを練っているからね。前の年に間に合わないフィーチャーもあって、そういうものは次の年に回すことになる。もしくは、海戦のようにフィーチャーを拡張することもある。あまり変えすぎないバランスが難しいんだ。あまり自由にクリエイティビティを発揮してしまうと、コアなファンの怒りを買ってしまう。彼らは情熱的だからね。ブランドの方向転換をするたびに起きることだね。上手く行くこともあれば、上手く行かないこともある。我々が『Splinter Cell』で経験したことだよ。ブランドを進化させようとすると、過去作の延長線上を望むファンの怒りを買ってしまう。[引用元:Choke Pointさん]
コアなファンをどう扱うかが鍵ですねぇ……。
よく見かけるゲームの感想の一つに、「○○シリーズじゃなければ、良作だった」とか「あのシリーズ名じゃなければ良かった」とか、そういったモノが存在しています。私個人としては、通常ゲームは「それ単体で語れる」のが理想ですが、シリーズである以上最初からスピンオフとか別路線でもない限りは、過去作と比較するのは当然というのも否定する気はありません。例えそれが、「実際は名前を借りただけの別物」であったとしても、名前を借りた以上は比較されるのもやむなしです。
続編やシリーズモノに求められるのは、そのタイトル名が示す内容です。ようは、「らしさ」と言うヤツですね。そのらしさを、シリーズにどの程度求めるのは個人によりかなり違いがあります。ですが、その「らしさ」を求めすぎると、何ら進化する事もできなくなり、その作品がマンネリ化へと突入してしまう光景というのは幾度となく見た事がある人もいるのではないでしょうか。
やはり求められるのは、バランスということでしょう。どこまでを過去作の延長とし、どこからを進化とするのかというバランスです。その両者のバランスが取れるのが理想ではあるのですが、その理想が簡単にできていればどのシリーズも素晴らしく賞賛されるモノになります。現状はそうなっていないので、その「絶妙なるバランス」を追い求める事になっているのが、シリーズの抱える難しさという事になります。
DQやFFなど、日本に代表されるタイトルもその時代に合わせて変化している節が見受けられます。国内外問わず、シリーズモノが多く出てくるような昨今にもなっておりますが、シリーズはシリーズで「旧来のファンに納得させるモノ」でありつつも、新規な人達を呼び込める何かであって欲しいモノですね。
:UBIの人が、長寿タイトルをどう作るか、色々と語ってるヨーってなお話です。
:まぁ、熱心なファンにターゲットをおきつつ、新規も呼び込めるようなモノが理想だわな。
:まぁ、とんでもなくわがままですけどね。でも、わたくしはそんな風に思ったりもするわけです。進化を見せつけつつ、そのゲームだからこそできるゲーム体験があれば万事OKなのだろうなと。……好きなシリーズでも、マンネリは本当に勘弁なのですよ。
:そりゃまぁ、誰だって好き好んでマンネリ化するわけじゃないだろうよ。