連載:気まぐれゲーム雑記 第991回:海外から見た日本のゲーム規制についての記事が大変興味深い件

「一部」の声が大きい人たちが跋扈する社会

国によって考えの違えど、概ね許容すべき娯楽がゲーム

AZです。色々とやることが山積みだと安心してゲームができない世の中に、ちょっと涙が出ております。

それはさておき、海外にて国外から見た日本のゲーム規制についての記事が公開されております。大変長文なのでごく一部だけを引用しますが、表現規制やら何やら海外の事情が知りたい方は一読してみることをオススメします。記事はこちら

簡単にまとめれば、海外において一般の人々は、ゲームに関する表現規制など大した問題ではない、と見逃しているだけで、積極的に日本のゲームを糾弾する側に賛同などしていない、ということです。
ある意味で、欧米の一般人の鷹揚な態度によって、規制推進派の不寛容さ・わがままが黙認されている状況だと言うことです。

よって海外のゲームを取り巻く勢力の内わけは、実際には次のようになります。

「メディアと結託した少数の攻撃的な規制推進派(SJW)」
「規制推進派に明確に反対する少数のゲーマーたち(GamerGate)」
「大多数の、問題に大して関心がないか、見て見ぬ振りをしている人々」

大手メディアがこの事実を語らないのには訳があります。
欧米圏においてゲーム系の大手メディアは、ほぼ一つの会社の影響下にあります。欧米のゲーマーたちが疑っている、ある会社が、日本ゲームの追い落としを組織的に計画しているのではないのか、という疑いもその辺りから出ています。
そして日本のゲームメディアも、海外のゲーム事情を報告する際のソースを、たいていの場合、それと知らないまま独占的なその企業が運営するサイトの情報から得たりしています。
Gawker Mediaと言えば皆さんの中にもその名前を耳にした方がいるかもしれません。
しかし、Gawker Mediaは単なる一営利企業です。
これでは情報が偏るのも当然です。

この辺りの事は非常に分かりにくく、気が付かなかったとしても無理のないことだと思います。
海外との最前線で活躍されているゲーム関連企業の役員の方ですら、「西洋は表現の問題に対して厳しいから」というような、現状を適切に表現しているとは言いがたい分析・一般化をなさっていたくらいです。

日本製ゲームだけでなく、欧米製のゲームも規制推進派からの批判にさらされており、その問題についてMark Kern氏は次のように述べています。
「規制推進派の言うことを聞いたとしても、結局糾弾の手が緩められたためしは無い。そういう観点から見ても、規制推進派に対して妥協すべきではない」と。
時として規制推進派の人々は、皮肉を込めてこう呼ばれたりもします。
「社会正義の戦士たち」、つまり”SJW(social justice warrior)”と。
最近ではトヨタやタカタのリコールの件などで、日本企業側としては、穏当にやりすごそうとしたつもりだったにも関らず、結果として問題をはぐらかそうとしたと受け止められ、そのために企業にとって深刻な事態を招いてしまったという事例があります。そのため、同様の事態にゲームの場合も発展するのではないかと、企業側は懸念されているのだと思います。

[引用元:TGG

これまた、良い感じの情報ですね。

まず、私自身の立ち位置としましては、表現についてはエロだろうとグロだろうと好みの問題であり、業界そのものは許容した方が良いと考えております。まぁ、かといってCEROレーティングとチキンレースするかの如く、エログロ方面を全力投球し続けてしまうと、あらぬところから物言いが付く可能性も否定できないので、そこはどうにか適当な落としどころを見出す大切さもあるとは思いますが、個人的には概ね許容した方が良いと思うわけです。

ですが、海外からみた日本のゲームの表現規制といえば、ストリートファイター5で一部表現が変更されたり、「デッド オア アライブ エクストリーム3」に至っては日本以外では絶対に発売しないとまで明言するような事態が起きたりしました。それは一概に、日本と海外における表現においての価値観の違いであるとされてきたわけですが、ここにきて「積極的に日本のゲームを糾弾する側に賛同などしていない」という意見が出てきたのは非常に良いことでしょうか。

しかして、ビジネスでやる以上は、ある程度予防線を張らないといけないのも間違いじゃありません。実際、何となくですが海外で「デッド オア アライブ エクストリーム3」のような欲望に忠実なゲームを出した場合、やんややんやとあらぬところから声が出てくる事も予想できてしまいます。そういった声にどこまで配慮するかはメーカー次第ではあるのですが、規制された事ばかりの実例ができていくのも良い事ではないでしょう。

国家間の価値観の違いで規制が出てくるというのは何とも厄介な話ですが、クレームの可能性があれば規制すれば良いというモノでもありません。ややこしい問題ではありますが、良い方向へ話が進む事を期待したいモノですね。

連載:気まぐれゲーム雑記 第991回:海外から見た日本のゲーム規制についての記事が大変興味深い件に関するしょぼーんさんとしゃきーんさんのゲーム座談会

しょぼーんさん:海外からみた日本のゲーム規制についての記事があったよーってなお話です。

しゃきーんさん:ふむ。いつも日本からみた感じしかなかったから、こういう意見は新鮮だな。

しょぼーんさん:そだねぇ。わたくしめとしては、表現については基本的に許容した方が良いと思っておりまして。まぁ、対外的にCEROみたいな自主規制の組織が必要ってのもわかるから、表現の問題は一筋縄じゃいかないのだろうなぁと思うわけです。……表現ってほんと、ややこしいよねぇ……。

しゃきーんさん:何を良しとして何をダメとするのかは、個人の経験や知識にも影響するだろうし、ベストを決めるってのは大変なんだろうよ。

コメント (2)

名無しのゲーマーさん

とても興味深い記事でした。
様々な面においてではありますが、とかく「穏当にやり過ごす」のが難しい時代になってきたなぁと思うところです。

AZ

AZ

>「穏当にやり過ごす」のが難しい時代になってきたなぁと思う

そうですねぇ。
同人などに見られる「あやふや」な感じは実に日本らしいところですが、グローバル展開で色んな考えが混ざり合うことで、きちんとした一本筋を決めて声を大にしていかないといけない時代になったのも間違いではなさそうです。
ゲームは娯楽という根本さえ共有できれば、エロだろうとグロだろうと許容した方が良いと思えますね。

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