連載:気まぐれゲーム雑記 第168回:オウガバトルシリーズで知られている松野泰己氏が語る伝説のオウガバトル製作の思い出話がクソ面白い、と言う話題
気まぐれゲーム雑記
第168回:オウガバトルシリーズで知られている松野泰己氏が語る伝説のオウガバトル製作の思い出話がクソ面白い、と言う話題
これ、一個のドキュメントですよ。
伝説のオウガバトルのドキュメント
今なお、その物語の終わりが見たいとファンが思い続けているゲームのひとつに、伝説のオウガバトルがあります。
開発スタッフは、松野泰己氏、皆川裕史氏、吉田明彦氏、岩田匡治氏などなど。今のゲームファンなら誰かしら一人は知っていそうなメンバーで製作された作品で、特に松野泰己氏はその作り出す世界観から多くのファンを魅了して止まない人物の一人でもあります。
そんな伝説のオウガバトルがスーパーファミコンで発売されてから、20周年となったそうです。それを記念(?)して、松野氏がツイッターで伝説のオウガバトルの開発について、出せる範囲内での知りうる情報を公開しました。結構長いですが、ファンとしても、またファンじゃなくてもオウガバトルが当時どうやって売れたのかというのを知る貴重な情報とも言えますのでご紹介です。なお、流石に長いの文章となるので、その後アレコレ書くのは少なめにしますが、わからないであろう用語に対してところどころに注釈を入れておきます。
もう一点、思い出の品。週刊ファミ通(旧ファミコン通信)での特集記事1頁目。92年4月10日号です。古い!w #Ogrebattle #伝説のオウガバトル twitpic.com/caj66l
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
よぉし、夜中だし、ちょっとアルコール入ってるし、仕事(ネタ出し)にも行き詰まってきたので思い出話をしちゃうぞ~|'ㅂ')
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(1)たしか記憶によれば企画がスタートしたのは91年6~7月頃。当時QUESTはオリジナル企画だけでなく有名IPの移植(メガドライブ等)も手がけていたが、それじゃイカン!との事でオリジナルIPに開発ラインを集約することにした。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
Questは今はもうない会社で、伝説のオウガバトルなどの知的財産権はスクウェアエニックスが所持しています。
(2)SFC向けに開発ラインを2つに分けてやることになった。だが、91年初夏の段階ではまだ進行中(例えばマジカルチェイス)のラインもあり、手の空いたプログラマはSFCを研究、企画(といっても2人だけ)はそれぞれの企画を練り込むことに。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(3)2チーム進行ということもあり、デザイナーのTOPだった皆川と吉田はそれぞれ別のチームを受け持つことに。オウガは皆川担当で、実は吉田はキャラデザのみの担当でもう1つのラインへ移動する予定だった。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
皆川とは皆川裕史氏の事で、現在スクウェアエニックスでFF14のUIアーティストとしてUIを担当している方です。また、吉田とは吉田明彦氏の事で、皆川氏と同じく現在スクウェアエニックスでタクティクスオウガのキャラクターデザインや、FF14のアートディレクター、ブレイブリーデフォルトのリードアーティストを担当しています。
(4)マジカルチェイスの開発が終わると2チームそれぞれのメンツが揃う。それまでの間、8月一杯のレンタルとして吉田を借りたのである。今思えば、あれだけのユニット数をわずか2ヶ月弱でよく描いてくれたなぁw(ただしこの時点では線画のみ) #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(5)秋になりメンツが揃ったので正式に開発がスタート。別チームがアクションだったのでこちらが思考型ゲームを作ったわけだが、あちらが思考型だったならこちらはアクションを作っていただろう。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(6)皆川が正式に参画し、代わりに吉田が抜け、そうして徐々にゲーム開発が進んでいく。余談だが、その年の11月24日、偉大なるヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーが亡くなった! 泣いた! ちょっとだけ暗黒面に堕ちたと思う。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(7)年明けだったろうか、別チームの開発が頓挫した。いろいろと手を尽くしたが結果的に開発中止に。開発スタッフをオウガ側で吸収することに。(退職者もいたが…) 後にTオウガのメインプログラマを務める畔柳くんもこの時、合流した一人。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(8)春になり開発も若干遅延しているものの完成が見えてきた。開発は1年という計画だったが、7月末には開発を終えようと皆で話し合い、作業を見直しつつ進める。余談だが92年4月25日に尾崎豊が亡くなった。皆でカラオケで尾崎を追悼した。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(9)いくつかの仕様を切ることでなんとか完成。マスターROMを提出し、承認後、(ROM生産の都合等で)約3ヶ月後が発売の目安となる。よって秋発売という計画で、当時、任天堂社が主催する見本市「スペースワールド」へ出展することに。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
スペースワールドとは任天堂スペースワールドの事で、あとで説明する初心会が開催していた会員向け展示会の事です。ようは、業界関係者や問屋限定のTGSみたいなモノを指します。
(10)92年のスペースワールドは晴海の東京国際展示場で開催され、QUEST社はオウガのみでブースを出展。私は1スタッフとしてチラシ配りや操作説明をしていたっけw これまた余談だが、後の上司となる坂口博信氏とはその時名刺交換をしたw #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
ちなみに後日、その話を坂口さんに聞いたら、まったく覚えていなかったwww
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(11)さて、ここまで読んだファンの方は「あれ? 秋発売?」と疑問に思ったはず。少なくともこの時点では、秋発売は確定しており、見本市の名の通り、営業は受注活動をしていたのだ。ちなみに、結果は7万本。目標10万本に残念ながら及ばず。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(12)しばらくしてから思いも寄らぬ事態に。結論から述べると、任天堂社からバックアップの申し出があったのだ。(世の中に流布されている噂話とはちょっと違うのを前提に差し障りのない部分のみ書きます) #Ogrebattle #伝説のオウガバトル …あ、酒が切れた。ちょっと離席。
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(13)バックアップの主旨とは? そもそも当時はシリーズもの、キャラものが売れて、新規IPが売れないという問題があった。20年前も今も同じやねw メーカーが気にするのは当然だが、なによりも任天堂社がそれを危惧していた。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(14)そこで任天堂社は、有望と思われる新規IPに対して、かつそれを自力では上手く売ることのできないメーカーに対してバックアップをしようというプロジェクトを極秘に進めていたのだ。そしてありがたいことにオウガにその白羽の矢が!! #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(15)何故オウガに? その答えはスペースワールドの来場者アンケートにあった。10位内は大手のシリーズもの(FFやDQ等)が占めていたが、11位がなんとオウガだったのだという。あら、嬉しいw そして、更に話は続く…。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(16)バックアップの内容は? 一言でまとめると「販売のお手伝いをします」ということ。a)ROM製造費は立て替えるから販売と相殺。これは一般消費者にはわかりにくいと思うが、市場に出荷する製品(ROMや箱、取説)の製造代は前払いが原則。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(17)例えばSFCの製造代を仮に2000円とする。あくまでも仮だよ。それを10万本出荷しようとすると、2000×10万=3億円かかることになる。つまりメーカーは売上を上げる前に、それだけの現金が必要になるというわけ。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
あ、2000円×10万本=2億円じゃないですかー。ちょっと、嫌だー。 まとめる時にどなたか直してね~|'ㅂ')
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
このあたりの製造代についてはあくまでもフェイク。当時のマスクROMはとても高価。更にBackUp用メモリはもっと高価。誰かが解説してくれるだろうから、ここはフェイクのまま進めます。
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(18)この製造代、大手はよいとして弱小零細にはかなり厳しい。銀行が融資してくれればよいが、まぁ、利率の高い投資家方面から借りることになる。つまり、自力で売れないとはメーカーブランドが弱いだけでなくそうした部分も弱いってこと(泣)。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(19) b)TV-CMは任天堂で作る!もちろん費用は任天堂! これについては言うまでもなく、任天堂クオリティのCM。オウガについては大阪電通さんだったはず。その出来は、当時、CMを観た人ならわかるばす。知らない人はようつべ探してネ。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
その時のCMがこれです。
(20)c)初心会(※知らない人はググってね)へお墨付きを与える! その代わりにココとココと…を直してね( ^ω^) いやぁ、もう当然っすよ、当然直します!てな具合で、任天堂社QA部門からの指摘に基づきブラッシュアップすることに。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
初心会は任天堂製品を扱う流通組織で、任天堂ハード全盛期(つまりファミコン、スーパーファミコン時代)はかなりの力を持っていたことで知られています。もちろん良い話も聞けば悪い話も聞きますが、すでにない組織なのでそこらへんは何とも言えないところです。
(21) ここで問題が生じた。そもそも開発は夏で終了。指摘はこちらでもわかっていた問題点ばばかりでそもそもスケジュールの都合で仕様を切った部分でもある。問題は開発費をどこから捻出するか。そこには任天堂社の助けはない…。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(22)その解決は端折るが(ぉぃ)、とにかく、9~10月の2ヶ月間でブラッシュアップをすることになった。そして2度目のマスターアップを迎え、10月に提出。開発は一応の終結を向かえることに。あ、一点忘れてた! …タイトル変更の件である #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(23) 先ほどのファミ通の記事をご覧いただくとわかるとおりタイトルは「オウガバトル」である。スペースワールドの出展時もそうだった。だが、「そんなタイトルじゃ売れまへんで~」とばかりにタイトル変更の要請を受けることに。 #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(24)そりゃ抵抗した。憤慨しつつ抵抗した。だが、逆らえるはずもなく、タイトルは「伝説のオウガバトル」となった。『オウガという単語になじみがない』等が変更理由。…今思えばその要請は正しかったと納得。青かっただけです、オイラは|'ㅂ') #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(25)マスター完成から約半年後、93年3月12日、無事に発売された。初期出荷は20万。だがCM効果なのか、あっという間に底をつき、追加に更に20万上乗せすることになった。感無量。ヒデキ感激!(死語) #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
(26)ちなみに、発売までの数ヶ月、僕らは続編を作ろうとはせず、アクションゲームを企画・実験していた。斜め俯瞰のマップでのアクション。そう、それは後に……(おしまい) #Ogrebattle #伝説のオウガバトル
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月11日
思い出話。かなり端折ってはいるが当事者として(少なくともQUEST社側にいた松野の立場で)知りうる情報である。これらを知る者はもう業界にほとんど残っていない。権利を持っているスクエニ社ですら詳細を知る者はいないはず。なので、備忘録も兼ねて書き記してみたというわけ。
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月12日
個人的になりますが、共に苦楽を味わい完成へと頑張ったスタッフと徳川専務(当時)、最初に「面白そう」といち早く取り上げてくれたファミ通・酒井さん、惜しみなく協力していただいた任天堂社山内社長(当時)、波多野専務(当時)、他関係各位に感謝致します。本当にありがとうございました。そして
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月12日
そして何よりも、20年間という長い間、オウガバトルというタイトルを愛し、支持し続けてくれたファンの皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
— 松野 泰己さん (@YasumiMatsuno) 2013年3月12日
伝説のオウガバトルに任天堂が協力していたというのも驚きですが、20年前からシリーズもの、キャラクターモノが売れていて、新規タイトルは売れないといった現実は変化していないのも実に面白いものがあります。任天堂は当時からそのことを危惧していた、ということでしょうか。……まぁ、最近はその任天堂からも新規タイトルは余り見受けられず、シリーズ物が多い気はしますが……。新しい遊び方を提供したWii Uである程度何かしらは見せてくれる……のかもしれません。
いずれにせよ、オウガファンにとっては実に興味深い話でしょう。ゲーム開発がどれほど大変なものかというのも垣間見える話だと思います。今後、こういった名作が出てくるかはわかりませんが、そうなってくれるよう楽しみにしたいですね!
しょぼーんさんとしゃきーんさんのゲーム座談会
:僕らの松野さんが伝説のオウガバトルの思い出を語ったぞーってな話題です。
:どうでもいいが、僕らのなんちゃらって貴様の中で随分多いな。
:まぁいいじゃない。何となく語呂合わせがいいだけですよ。それはともかくとして、凄く興味深い話だと思うし、当時を知る人がほとんどいないって点で貴重な話題だと思う。まさにドキュメントですな。
:こういう作品があって有名なクリエイターが出てきたと思うと、それはそれで感慨深いものがあるな……。今後も名作と呼ばれる作品が多く出てきてくれる事をせつに願いたいものだ。
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