連載:気まぐれゲーム雑記 第185回:ヒットマンアブソリューションのシニアレベルデザイナーが語る「良いレベルデザインの10の原則」が非常に良い内容、と言う話題
気まぐれゲーム雑記
第185回:ヒットマンアブソリューションのシニアレベルデザイナーが語る「良いレベルデザインの10の原則」が非常に良い内容、と言う話題
レベルデザインする時は色々と考えねばなりません。
レベルデザイナーは日本じゃ少ないらしい
我らがこよなく愛するゲームは、開発者があれやこれやと考えながら作っていきます。
その開発者にも色々と役割があり、レベルデザイナーと呼ばれる職種があります。レベルデザイナーとは聞き慣れないポジションですが、その内容はゲームシーンや舞台、難易度などをデザインする人の事を指します。海外では主流の職業ですが、日本では余り話題になりません。というのも、海外と日本の製作手法が違うからで、確かレベルデザインの元はDOOMのレベルエディタあたりにあったような気がしないこともありませんが、それを書いているととんでもなく長くなりそうな気がするので、興味があったら調べて見て下さい。
そんなレベルデザインについてGDC2013で「良いレベルデザインの10の原則」というセッションが非常に良い内容だったとGame Watchが伝えています。詳しくはこちら。
ざっとまとめると次の様な感じ。
- 「良いレベルデザインの10の原則」がとてもいいセッションだった
- 共通点は、自己分析を10の要素に洗い出し、具体的なケースと共に解説を加えている点と、自社タイトルについてほとんど言及していない点
- 「ナビゲートが楽しい」
「Mirror's Edge」を例に、目的地まで行くことを楽しませるのと同時に、たまには混乱させるのも良い - 「言葉に依存しない」
「Bioshock」を例に、舞台装置から舞台設定を把握させるようにすれば、ゲームに没入してもらえる - 「やり方までは伝えるな」
「Skyrim」を例に、ある程度目的は漠然としていた方が良いし、その方がやらされている感が生まれない - 「教え続けよ」
「ゼルダの伝説」を例に、チュートリアルだけで教えるのを終えてしまうのは駄目で、すべてのダンジョンに新しい遊びが提供されている - 「驚きを与えよ」
「Dead Space 2」を例に、プレイヤーに予測できないような驚きの強弱を与えるのが良い - 「プレーヤーに自由を与える」
「Infamous」を例に、現実世界を模した世界観で自分の好きにできる楽しさ - 「難易度設定ができる」
「Burnout Paradice」を例に、高難易度にチャレンジする価値があることを明示しつつ、すべての人がクリアできるような施策をすべき - 「効率的であること」
「レゴ」を例に、製作の作業効率をあげるためにレベルデザインをモジュラー化(分業、ないしパーツ化できるように)する必要性がある - 「感情を呼び覚ませ」
「トゥームレイダー」を例に、広大なレベルを舞台にリアルなジャングルを生み出し、プレイヤーの感情を呼び覚ますようなゲームが望ましい - 「ゲームメカニクスを駆動する」
「Deus Ex Human Revolution」を例に、ステルスやコンバット、オーグメントといった諸要素を使用するためのショウケースとなっている
- 10の原則がすべて自らの発想ではない
ざっとこんな感じでしょうか。
というわけで、今日はこの10原則の幾つかにスポットを当ててアレコレ書いてみようかと思う次第です。
やらされている感は問題
10原則の中で特に共感を呼んだのは、3の「やり方までは伝えるな」と6の「プレーヤーに自由を与える」でした。この2つには関連性があるように思えます。
個人的な意見ですが、管理人の場合はゲームをプレイする際は「目的」を「自由に」達成したいというのがあります。ドラクエでもボスを「自分の好きなパーティ」でクリアしたいわけです。もちろん、物語のみを追うようなサウンドノベルやそれに類似するアドベンチャーはこれには該当しないわけですが……。
いつの頃からか、「ゲームをやらされている」という言葉が使われるようになりました。言い得て妙な話ですが、なんとなく同意できる人もいるのではないでしょうか。このやらされている感というのは酷く面倒な存在で、「ゲームは能動的に行うもの」と考えてしまうため「受動的な作品」に対して反応してしまうように思います。つまり、決められたルートや決まったやり方になってしまう作品に対して、やらされているような感覚を覚えてしまうのではなかろうかと。
親切な王道RPGのドラクエ1つとっても、ラスボスの倒し方まではゲーム内で描かれません。自分で考えたパーティ編成で自由に倒す事ができます。もちろん、「こういったパーティなら倒しやすい」というのはあるかもしれませんが……。ですが、そういったパーティを使うも使わないも「自由」なわけで、制限されている中にどれだけ自由があるのか、というのが昨今のゲームで良く言われる「自由度」というものになるかとは思います。「Fall out」はその制限が少なく、色々な事ができるから自由度が高いということになるのでしょう。
こういったさじ加減が上手くできているゲームというのが、面白いものと呼ばれるケースが多いという事には思えます。日本でも、そういったさじ加減のバランスが絶妙に取れている作品が多く出てきてくれるのを願いたいものですね。
しょぼーんさんとしゃきーんさんのゲーム座談会
:本日は、レベルデザインについて面白い話があったので取り上げてみました。
:これらにすべて該当する作品ってのはほとんどなさそうだな。
:まぁどれかに特化しているものが特徴となるのだから、そりゃないっしょ。でも、わたくしとしては自由度とかそういうものに影響しそうなものってのは非常に気になるところです。……別に自由度こそが全てってわけじゃなく、一本道でも面白いものは面白いと思うけどね……。
:日本でFall outばりにフリーダムな事ができたらそれはそれで凄いんだろうなぁ……。
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