連載:気まぐれゲーム雑記 第117回:暴力性を秘めたゲームの利益を説く、と言う話題

気まぐれゲーム雑記
第117回「暴力性を秘めたゲームの利益を説く、と言う話題」

説得力がある文章は、賞賛されて然るべきなのです

権威というものは意外と大切

アメリカの銃乱射事件に始まった、暴力ゲームへの批判。
ゲームを知る者たちからすれば何とも度し難い話ですが、ゲームに対する世間の認識はそのようなモノなのだ、と改めて思い知らされます。任天堂がWiiでまったくゲームを知らなかった層を開拓したのは良い事でもありますが、自分達の考えこそ絶対正義とする人達も多く、そういった人達へゲームに「暴力ゲームもまた、一つのエンターテイメントである」というのをどうやって認識してもらうのか、というのはやはり得てして難しい問題でもあります。

そんなアメリカを舞台にした銃乱射事件での暴力ゲームへの波及問題ですが、国際ゲーム開発者協会(IGDA)で反検閲・社会問題部会の会長を務めるダニエル・グリーンバーグ氏が、アメリカ副大統領に宛てた書簡を公開しました。詳しくはこちら
まとめると以下の通りです。

  • 国際ゲーム開発者協会(IGDA)は、企業の製品を科学的に研究することにためらいはない
  • ゲームでの暴力と、現実の暴力が容易に結び付くわけではないという既存研究結果に対し、更なる証拠に基づく科学的研究を加えていく事を歓迎する
  • 暴力を伴うゲームについて、負の側面だけではなく、利益についても考察されるのを期待する
  • 多くのゲームは、物語の中で困難な選択肢を与えて、それを経験させるという難しいレッスンを提供している
  • アメリカ政府は、ゲームという新しいメディアを社会的な悪であるとスケープゴートにすべきではない
  • アメリカ政府は、偽りの研究をもとにして1950年代に漫画業界に対して取り返しの付かない損害を与え、それは未だに回復していないし、楽しみを奪い取る結果しか生まなかった
  • ゲームの検閲は同様の予期せぬ結果を招く可能性がある
  • IGDAは全面的にサポートするが、非科学的な根拠に基づくものであったり、有意な変化をもたらさないものになる事は望まない

以上のような感じでしょうか。

原文の方は、非常に優秀な、かつわかりやすい文章になっています。説得力がある文章というのは、こういう事を指すのでしょう。ぜひ、一度読んで見て下さい。
というわけで、今日はゲームが良く見られるようにするためにはどうすれば? 的な話題をしてみようかと思う次第です。

そのゲームジャンルがどう見られているのかを考えてみる

ゲームは、幾多のジャンルに分かれています。
その中でも暴力性の高いゲームというのは、ゲームを知らない人から見れば疎ましい存在でしょう。特にそれが「現代とマッチングしている」となると、非常に厄介なところになります。

例えば同じ暴力マークがあるタイトルだと、ダークソウルと龍が如くの違いでしょうか。ゲームの本質から言えば、PK要素のあるダークソウルの方がより好戦的ではありますが、ゲームを知らない人から見れば、現代を舞台に仁侠物語が繰り広げられるという設定は受け入れがたい人がいるのも確かでしょう。……多くのシリーズが出ていますし個人的には面白いと思うのですけど、知らない人からみればそのような認識でしょうし、情報の出し方や言い方、見出し、煽り文句、見栄えなどの効果でもかなり見られ方というのは変化します。

日本には「臭い物に蓋をする」という何とも素晴らしいことわざがありますが、「悪い事、悪い物は隠してしまう」事のリスクは推して知るべしです。そもそも、それを知らなければ「善し悪しの判断が付けられない」という本末転倒な事が生まれてしまいます。これは教育の一環だと言えますし、ゲームに関しても言える事でしょう。勧善懲悪のゲームがすべてとも言いませんが、物語があるゲームはちゃんとそういった部分を提示している事が多いのも事実だと言えます。……いやまぁ、バハムートラグーンみたいな、想い人を敵だった人物に取られると言う何とも世知辛い青春を味あわせてくれちゃうゲームもありますけど。

ゲームを正しく知ってもらうには?

ゲームが批判に晒される時、なぜか映画は批判されにくいという不思議現象が起きます。ゲームがスケープゴートなのかどうなのかは何とも言いがたいところでもありますが、多くの人は某世界の北野武監督が言ったとされている「お涙頂戴な話(映画)だらけなのに、なんで世界は良くならないのか」という事を正しく認識すべきでしょう。ゲームや映画に暴力性があろうと、お涙頂戴であろうと、それらはすべて「エンターテイメント(娯楽)」である事に変わりはないのです。

ですが、そのエンターテイメント性を学習に活かすと言う試みは、多く見られます。日本で言えば、脳トレや鬼トレがそれになりますし、アメリカではシムシティを都市開発の教育で採用されたり、StarCraftがカリフォルニア大学で思考法と迅速な意志決定」を学ぶ目的で単位が貰える講義として採用されたりしています。まずは、知って貰うところから始めなければなりませんし、そこからより広いモノが存在する、という事も知ってもらわないといけません。

ゲームメディアに限らず、サブカルチャー全般は何かにつけて批判の矢面に立つケースが多々ありました。そういったときは、大抵科学的根拠のない感情論でお昼のワイドショーやニュースを賑わせてきたものです。ですが、やはりそういったものはしっかりとした根拠を持って、誰しもが納得するような言論を必要とする事が一番大切でしょう。
このアメリカで起きた暴力性を秘めたゲームへの批判が、どういった着地点を見せるのかは未だ不透明ですが、下手な前例を作ってしまうと日本にも影響を及ぼしかねません。いちゲーマーとしましては、「誰しもが納得するような結果」を正しく導き出してもらえることを願いたいですね。

しょぼーんさんとしゃきーんさんのゲーム座談会

しょぼーんさん:アメリカの暴力ゲーム批判ってヤツに対したIGDAの人の文章が優秀過ぎて感動した! って話題です。

しゃきーんさん:流石に反検閲・社会問題部会の会長というだけあって、文章の構築が上手いな。

しょぼーんさん:ゲームに限らないけど、サブカルチャーって呼ばれる文化は何かあるたびに矢面に立ってきた分、知っている人と知らない人の差が激しいところはあると思う。みんながみんな、それ相応に認め合う事って大切だと思うんだけどなぁ。

しゃきーんさん:世の中、それを認めたらアウトだ、って思っている人がいるからこそ、こういう問題が起きるんだろうよ。……このような問題の落としどころってのは何とも厄介な話だよなぁ。