連載:気まぐれゲーム雑記 第545回:あのEAさえもプレイヤー重視の開発になっていくようです

気まぐれゲーム雑記
第545回:あのEAさえもプレイヤー重視の開発になっていくようです

メーカーもそのように舵を切るしかないのです。

プレイヤーの需要を満たしてこそ売れる時代へと突入

AZです。シューマッハ氏が退院ということで、ほっと一安心しました。

ところで、「引かぬ!媚びぬ!省みぬ!」(by 聖帝サウザー)の三拍子が揃った企業としても知られているEAですが、EA Studiosの副社長Patrick Soderlund氏が開発中のタイトルをE3で見せたのは意図的なものだったと語っています。

Patrick Soderlund:
Blur Studioか誰かに大金を払ってプリレンダのムービーや綺麗なロゴを作って、大量のIPを発表するという方法も可能だった。しかし、我々はゲームを作る過程を見てほしかったし、その過程に参加してもらいたかった。我々のゲームの開発プロセスに、ユーザーを招待したかったんだ。

他のプレス・カンファレンスでは、昔のやり方をしているところが多い。大金を積んでゲームとは全く関係ない予告編を作り、画面にロゴを表示させる。我々はゲームの現在の姿を見せることで、EAでのゲーム開発の現状にユーザーを招いたんだ。私個人はとてもクールなことだと思う。

[引用元:Choke Pointさん]

まぁ、クール……ですかね?

この開発途中のモノをプレイヤーに提示してそこからフィードバックを得てモノを作っていくというのは、昔ならばMMOがそのスタイルだったわけですが、最近では家庭用や携帯機でもスタンダードになりつつあります。日本でも、Vita周りの共闘アクションは何となくその節が強い印象を受けますが、コレが意味することは、開発や会社側の思惑だけで作られたゲームだけでは売れない時代が到来したとも言えるわけです。

ゲームに限った話ではありませんが、世の中は需要と供給のバランスで成り立っています。そのバランスが崩れてきたようにも思えるのが、近年のゲーム業界で言われる「ゲームが売れない」現象です。簡単に言ってしまえば、プレイヤーが望むべきゲームがないから買わないというだけの事であり、もちろんそこに至るプロセスはあらゆる経路が考えられます(例えば一番ゲームをしてた層の年齢が上がって生活環境が変化した)が、突き詰めて言ってしまえばメーカーがプレイヤーの需要を満たせなくなったとも言えるのです。

需要というのは、欲求に近いモノがあります。その欲求を満たす事ともなれば、メーカーが一方的に提示するゲームの面白さ、楽しさだけでは不味いという事になります。一方的なゲームの路線変更が受け入れがたいケースもあるというのは、ドラクエ10がオンラインとして発表された時の騒ぎっぷりを思い出せば理解出来る話でもありましょう。そういった一方的な方向性ではなく、プレイヤーも巻き込んでしまえば良いというのは一番効果的とも言えましょうか。

何はともあれ、あのEAでさえも娯楽としてのゲームをプレイしたがっている人の為にゲームを作ろうという姿勢になってきたことが窺えます。今後、日本メーカーもどのように変化していくのかを生暖かく見守っておきたいですね。

しょぼーんさんとしゃきーんさんのゲーム座談会

しょぼーんさん:EAがプレイヤーを重視しながらの開発に切り替わってきたよーってなお話です。

しゃきーんさん:まぁ、日本でも共闘アクションとか、ブレイブリーデフォルトの体験版とかはそんな感じだったよな。

しょぼーんさん:そんな感じだったねぇ。あれって結局、どういった需要があるのかは出してみないとわからんっていう典型だと思うのです。でもまぁ、きちんと問題を把握して改善の余地があるなら手を入れるっていうのは良い事だと思うよ。……最初の体験版で飽きられたらアウトだけどネー。

しゃきーんさん:……そこはもうそれなりにしっかりと作ってもらうしかねーんだろうなぁ……。

連載:気まぐれゲーム雑記 第545回:あのEAさえもプレイヤー重視の開発になっていくようですに関するしょぼーんさんとしゃきーんさんのゲーム座談会

しょぼーんさん

しゃきーんさん

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しゃきーんさん

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