連載:気まぐれゲーム雑記 第1004回:個人による開発の良い点は“狂気染みたところ”である事を思い知らされる

その狂気さが「懐かしさと楽しさ」を呼ぶのです。

全体ではなく個だからこそやれること

AZです。余りの睡眠不足からか、夜になると急激に気持ち悪いほどの眠気を催す状態になってしまったので、真剣に健康を気遣ってみようと思う所存でございます。

それはさておき、個人による開発の良い点は開発者自身の“狂気”であるという講演があったようです。

個人開発ゲームでレトロ系のゲームと言えば,8bit/16bitのピクセルアート(ドット絵)を再現したものが現在の主流だ。しかし「Back in 1995」は,同じレトロ系を名乗りつつも,ほかに誰もやっていなかった32bit世代のローポリゴン3Dグラフィックスを再現してみせたことで,注目を集めたのである。さらに,当時の技術の限界によって生じてしまったテクスチャの歪みまでも,現在の技術でわざわざ再現したこだわりは,ユニティ・テクノロジーズ・ジャパンの簗瀬洋平氏に“狂気”とまで言わしめたという。

一條氏は,そうした狂気こそが,ゲームそのものを記憶に焼き付ける要因であるとする。「Back in 1995」では,その名前を正確に覚えていないような人であっても,スクリーンショットを見せれば「ああ,あのローポリを再現したインディーズゲームか」といった感じで,思い出してもらえるそうだ。

会場では,狂気の事例として,ぬっそ氏の開発した「ACE OF SEAFOOD」が紹介された。このゲームは魚を操作して戦うアクションシューティングで,実物の魚をスキャンしてモデリングしている。

一條氏は,こうした狂気は誰の中にも眠っているとし,そのソースとなるのは自分自身の興味だという。とくに「国内で100人くらいは愛好家がいるだろう」というニッチな興味が望ましいとのことだ。
ただし,どこから狂気のネタを発見できるかはまったくの未知数。さらに,そもそも自分自身が興味を持っていることなので,それが狂気だと自分では分かりづらい。一條氏自身もまた,「Back in 1995」のネタはゲームプレイから見つけ出しているし,そのネタが他人から狂気と指摘されるとは思ってもみなかったそうだ。

狂気を見つけることができたら,それをいかにしてゲーム化するかを考えることになる。一條氏は,このとき重要なポイントとして,「こんなゲームを作りたい」ではなく,「こんなテーマのゲームがあれば,プレイヤーはこう楽しんでくれる」と考えることを挙げた。これはユニティ・テクノロジーズ・ジャパンの大前広樹氏の「遊ぶ人の楽しむ心をデザインする」という言葉を言い換えたものだ。
「Back in 1995」は,アナログスティック非対応,ラジコン操作でキャラクターを操作するゲームだが,一條氏はそれを2016年に「ヤバい! クレイジー!」と思いながら楽しんでいる人をイメージして開発を進めているという。

一條氏は,狂気のもう一つの効果として,「作り手の“心”の芯になること」を挙げた。つまり狂気は,スキルとは無関係に「こんなゲームを作っているのは自分しかいない」という自信と,他人との揺るがない差別化につながるというわけである。さらには,どんな逆境になったとしても,その狂気に対して興味を抱くファンが応援してくれるという。

また,こうしたゲームは必然的にニッチな層を狙うことになるが,その人達に確実に刺さるよう,狂気を軸に内容を尖らせる必要があると一條氏は語る。逆に刺さらない人からの反対意見は,「Not for you」の精神で受け流すべきとのこと。実際,「Back in 1995」でも「ピクセルアートは芸術だが,ローポリゴンは技術進化の通過点なので価値はない」という意見が寄せられたが,一條氏は聞き流したそうだ。

一條氏は,万人に楽しまれるゲームの開発は大手のゲームメーカーが仕事として取り組むべきことであるとし,せっかく個人で開発するのであれば,尖った内容を楽しんでくれる層に集中したほうがいいと語る。また,そのほうが「この人達は必ず楽しんでくれる」という安心感が生まれるそうだ。

[引用元:4Gamer.net

実に良い表現ですね。

インディーゲームなるモノが大手メーカーのゲームと違ったテイストになるのは、その尖ったゲームコンセプトやテーマがあるからこそなわけですが、そういった個人しか持ち合わせていないモノを狂気という表現をするのは実に上手いところでしょうか。確かに、「ネオアクアリウム -甲殻王-」はどう見ても狂気の産物で間違いありませんし、インディーゲームらしいといえば、それに間違いはありません。非常に良い講演だったようで、記事もわかりやすくまとまっているのでインディーゲーム開発に興味があるならば一読の価値はあるでしょう。

インディーゲームは、個人で開発が故に開発費に問題を抱えているわけではありますが、一方で個人で開発しているからこそ自由に作れるという側面を持っています。つまり、商業の目標も企業ほど高い目標である必要はなく、よりニッチなところを狙っていく事ができるのが何よりの特徴であるのも間違いはありません。今や、ゲーム開発はやる気さえあれば個人でできる時代ですし、とことん個人でやっていくというのも悪い選択ではないのでしょう。その分、かなり上手いことやっていく必要はあるとも感じますが……。

日本の場合、数年前だとインディーゲームなるモノが出てくる場は「コミケ」だったり何だったりときわめて限られた場所が大半でした。ですが、今ではPCや家庭用機も含め環境が良くなってきているのは間違いありません。色々支援してくれるパブリッシャーも増えているようですし、思うところがある人は一度開発をやってみるのも良いかもしれません。

日本では、まだまだインディーゲームと呼ばれるタイトル群の知名度はそこまで高いモノとも言えないような雰囲気はありますが、大作ゲームばかりではなくインディーゲームも大いに盛り上がって欲しいモノはあります。大いに賑わって欲しい限りですね。

連載:気まぐれゲーム雑記 第1004回:個人による開発の良い点は“狂気染みたところ”である事を思い知らされるに関するしょぼーんさんとしゃきーんさんのゲーム座談会

しょぼーんさん:個人のゲーム開発の武器って“狂気性”なのだなぁという良記事があったよーってなお話です。

しゃきーんさん:まぁ、そういった“狂気性”ってのは、ゲーム開発に限った話でもないがな。

しょぼーんさん:そだねぇ。いわゆる、個人の発明家って方々もそんな感じなんだろうな、と。やっぱり、インディーゲームってクレイジーにぶっ飛んでて欲しいってのがあるし、個人で頑張ってる方々は無理のない程度に頑張って欲しいとは思うよ。……開発で無理しすぎちゃったら色々ダメになっちゃうだろうし、無理のない程度が一番だと思うのです。

しゃきーんさん:……ま、個人なんだしマイペースにやるのが良いってことじゃね? もちろん、期限は必要だと思うがな。

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