連載:気まぐれゲーム雑記 第495回:クリアしたゲームが必ずしも楽しいとは限らない

気まぐれゲーム雑記
第495回:クリアしたゲームが必ずしも楽しいとは限らない

クリアしたからこそ言える意見がたくさんある。

クリアまでの過程を楽しめたのか否か

AZです。そろそろPCゲームのバンドル情報も真面目に取り組む姿勢を見せようと意気込んでいます。

ところで、ぼちぼち当ブログでレビュー予定を控えている「戦国無双4」を一生懸命プレイしておりまして。ふと、クリアとはどういう事なのだろう? とちょっと疑問にも思えてしまい、「ゲームクリア」という論点で楽しさが語れるのかが気になったので記事にしてみようと思ったわけです。

「ゲームをクリアした=そのゲームは確実に楽しい」という方程式は、残念ながら成り立ちません。苦痛とも言えるゲームプレイの果てにクリアしたかもしれないし、本当に楽しんでプレイしたかもしれない。そうである以上、クリアというのはプレイする際に一つの区切りにはなり得ますが、面白さを計る基準としてはちょっと難しいところにもなります。

では逆に、簡単にクリアできないゲームをツマラナイと断ずる事ができるかどうか。それもまた違います。もしそれが成立してしまえば、死んで覚える類のゲームは皆つまらないゲームと言えてしまうからです。世の中にはマゾいプレイヤーも多く、死んで覚えてこそゲームだ! という人さえいるのです。結局のところ、ゲームは目標に行き着くまでの過程を楽しむモノであり、クリアは確かにその目標になり得る要素ですが、その過程を楽しめなかったらクリアしても面白くはないという事になってしまうのです。

そもそも根本的な問題として「面白い」とか「楽しい」という感情論は、個人の価値観以外だと他者との共感を得る事ができて初めて価値が出ます。もちろん、個人の価値観は大切です。ですが、ファミ通などの大衆メディアが出す意見がどれほど「これは面白い!」といったところで、共感を呼ぶことが出来なければお話にならないのです。そういったところが、メディアの提灯記事やら何やらが出てくる一因でもあり、信用を落としてしまう可能性があるところになります。

ゲームを面白いと論ずるか、ツマラナイと論ずるかの区切りがクリアであると言えますが、クリアしたからこそ「面白い・楽しい」「ツマラナイ・退屈」などといった感情的な感想が出てくるのも間違いではありません。また、そういった感情や感想も人それぞれである事に違いはないでしょう。インターネットの普及により、多くの人の意見が簡単に入手できる時代になりましたが、「ゲームの過程をどう楽しんだのか」もしくは「ゲームプレイを通じて何を感じたのか」がわかるようなレビューがたくさん出てきてくれる事を願いたいモノですね。

あ、ちなみに「戦国無双4」は比較的楽しんでプレイできていますよ? 色々とやれる要素が多いので、どこを区切りにすべきか困ったから、この記事が生まれたのです。

しょぼーんさんとしゃきーんさんのゲーム座談会

しょぼーんさん:戦国無双4のレビューをそろそろ書けそうって段階に来たんだけどさ、クリアしたゲームが必ず楽しいってわけじゃないんだよなーと思ったわけですよ。

しゃきーんさん:そりゃまぁ、そうだな。貴様なんぞ、ディスガイアを「ストーリーはどうでも良いが、汎用キャラをレベル上げて育てるのは楽しい」と評したくらいだし。

しょぼーんさん:まぁね。だから、クリアしない=ツマラナイという事でもないんだなぁと改めて感じたわけです。まぁ、ブレイブリーデフォルトのクリア率の話が出た時にも感じたけど、あのゲームに限っては途中挫折した理由が「ブラウザゲーでネタバレされてやる気失った」だからねぇ。……ま、レビューならその人にとってどういう内容だったのかが分かるモノをたくさん読みたいっすなぁ……。

しゃきーんさん:読むのも良いが、とりあえずさっさとプレイして自分で思うところを書くよう頑張ったら?

連載:気まぐれゲーム雑記 第495回:クリアしたゲームが必ずしも楽しいとは限らないに関するしょぼーんさんとしゃきーんさんのゲーム座談会

しょぼーんさん

しゃきーんさん

しょぼーんさん

しゃきーんさん

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