連載:気まぐれゲーム雑記 第647回:「Hatred」が呼び起こした表現やモラルに関する議論は常にあり続けて欲しい
気まぐれゲーム雑記
第647回:「Hatred」が呼び起こした表現やモラルに関する議論は常にあり続けて欲しい
モラルも表現もややこしい限りだけど議論した方が良い。
境界線はどこにあるのでしょう?
AZです。株式市場がジェットコースターのようですが、そんな事とは関係の無い日常を過ごしています。
それはそれとて、インディーゲームとして「Hatred」というモノが出てきたわけですが、無慈悲に一般人を殺戮するという手のゲームで話題を呼んでいるようです。トレーラーをおいておきますが、グロ系やハードなバイオレンス系が苦手な人は視聴しない方がいいかもしれません。
まぁ、予想はつきますかねぇ……。
「Hatred」はそもそも“嫌悪”とか“憎悪”という意味の単語なわけですが、何故これが海外で問題になっているかというと倒している相手が一般人であるというところです。公式サイトには、プレイヤーが悪人として一般の市民や警察と戦うという内容が書かれており、PCゲームに詳しい人なら「Postal」をすぐさま彷彿とさせる内容ですが、このような問題はゲームならではと言うべき代物にも思えてなりません。
ゲーム開発者の意見としては、
“私はやり過ぎだとは思っていません。ゲームではバーチャル空間のキャラクターを撃っているだけで、もしゲームと現実との区別が難しい人がいるなら、PCの電源を切って散歩にでも行くべきです。我々がやっているのは既にある多くのゲームで見られるのと同じことです。単にそれを正当化したくなかっただけです。もし本作の内容に気分を害して好きになれないなら、プレイする必要はありません。単純明快です。誰もが楽しめるゲームではないことは確かでしょう。”
[引用元:Game*Spark]
という事を表明しています。これはその通りと言うほかなりません。
モラルに端を発したゲームとリアルの混同に対する議論は常に付きまとっていますが、私の考えとしては「ゲームとリアルを混同する人がいる、などと言い出す人が一番混同している」という考えの持ち主です。モラルがないと言う事やバイオレンス過ぎるという意見も理解できますが、その境界線を決めるというのは酷く難しい。個人の感性から倫理感、人生における様々な体験により、国ごとに違いますし更に個人間でも大きく異なるでしょう。だからといって、話し合わずに片側を悪と決めつけては何も解決はしませんが。
かつてGTAもバイオレンスさをウリにし、日本では神奈川県がGTA3を有害図書指定するなど、センセーショナルな話題も飛び出ました。最近の大手メーカーによるタイトルは大作で多額の投資をしている影響からかそういった部分が鳴りを潜めることになりましたが、本作のような代物が出てくると言うのはインディーゲームならではというべき話に違いはありません。賛否両論はあるでしょうが、「イヤならば買わなければ良い」はどこまで通用するのかなどを含め、今後の動向を生見守りたく思う所存に御座います。
しょぼーんさんとしゃきーんさんのゲーム座談会
:「Hatred」っていうバイオレンス且つアンモラルな内容のゲームが出てきたんだけど、何だか海外では議論の的になっているっぽいよーってなお話です。
:まぁ、日本人にゃウケづらいタイトルだろうな。
:そゆのは理解できるけどね。好き嫌いはおいといて、こういうのを見て「ゲームだって割り切れる人」と「割り切れそうにない人」の議論ってのは、どこまでもやってた方が良いのかなと。基本的には相容れないモノだけど、妥協点は見出せるかもしれないし。……まぁ最初から議論もなしに全否定してたら話し合いにもならんだろうけどネー。
:こういうモラルが問われるようなタイトルは、ほんとに扱いが難しいんだろうなぁ。Hotline Miamiもそうだが、海外のインディーゲームは色んな意味で貪欲に作ってる印象を受けるわ。
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確かにこういう議論はいつまでも活発であるべきとは思いますね。
現状としてはとにかく「臭い物に蓋」で、モラルがあれとか影響がどうだとか論じる段階に至ってない気はしますが…。
この手の作品は宣伝販売等に制限はあっても、ゲーム自体の表現に規制があるのは好ましくないと自分は思っています。