連載:気まぐれゲーム雑記 第303回:受動的なゲームと能動的なゲームに見るユーザー主導のコンテンツ
気まぐれゲーム雑記
第303回:受動的なゲームと能動的なゲームに見るユーザーコンテンツの在り方
久々に、ややこしい話をしよう。
自らやるのか、ゲームをやらされるのか
いつの頃からか、プレイヤーが受け身のゲームが増えていきました。
受動的なゲーム……つまり、ゲームをやらされているという現象に陥りやすいタイトルです。言葉遊びではありますが、そもそもゲームは自分で電源を入れて起動させプレイするわけですが、それなのにゲームをやらされているという感覚に陥るのは実に面白い現象でもあります。ですが、そういうタイプのゲームはやらされている感を感じやすいというだけで、さじ加減さえ間違えなければ王道と言えるタイプでもあります。端的にいえば、自分で考えずに済むタイプのゲームでしょうか。
対して能動的、つまり自分からやろうとするタイプのゲームは、クリエイティブな要素を多く持っています。いわゆる、自由度、と呼ばれる部分です。何に対して自由なのかは、キャラクター、ステータス、スキル、ストーリー、ゲームの世界そのもの、などなど様々な要素が挙げられます。自由度が高いゲームが好きな人は、そういった考えるクリエイティブさを求めている人が多いと言えます。こちらも端的に言えば、自分で考えるのが好きでしょうがないタイプのゲームといったところでしょうか。
どのタイトルがどちらに当てはまるかというのは、見方によって変わるでしょう。ですが、やはりそれが色濃く出るタイトルもあるわけで、最近だとMMOのEQ Nextや新生FF14、ドラクエ10などがはっきりとわかりやすいタイプではなかろうかと思うところです。自由な世界を自由に生きるユーザー主導のタイプがEQ Nextになり、開発側の意図した通りのゲームプレイを楽しむ開発者主導のタイプがFFやドラクエになります。どちらが良いと言うのは好みの問題でしょうが、私個人の意見としては、開発主導のMMOはクエスト追加などひたすらに自転車操業的にコンテンツを増やしていかないといけない様を見ていると、実に大変そうだなぁと生暖かく見守りたくもなるものです。
EQ NextでのMMOながらに何かを自前で建築している動画
FF14でのパーティプレイの在り方を紹介している動画
そういった現状を見ていると、日本のゲームはユーザーが主導になってコンテンツを作っていくのが難しいゲームデザインである、という印象を受けます。つまり、ユーザーが主導してコンテンツを作っていくような環境ではないという事も言えてしまうのです。
完全に開発者主導だと堅苦しさからやらされている感が発生してしまい、逆に完全にユーザー主導だとどうすれば良いのか分かり辛いものが出来上がります。そのさじ加減がゲームをより面白くしていく要素とも言えるでしょう。ユーザーとメーカー、上手くバランスを取っていって良いゲームがたくさん生まれる事を期待したいものですね。
しょぼーんさんとしゃきーんさんのゲーム座談会
:何となく、FF14のパーティプレイの役割ってのを見て、こういう役割を「強制」されるのか「好んで演じる」のかで意味合いが変わるよねぇって思ったわけで。日本のゲームでユーザー主導のコンテンツが生まれにくいのもそういった部分なのかなぁと。
:まぁ一長一短だろうよ。必ずしもどちらが良いとは言いがたいし、ケースバイケースだな。
:どちらかに偏れば良いってわけでもないんだけどね。でも、どういったゲームが求められているのかっていうのは見てみて欲しいとも思うところ。……ま、ユーザー主導のコンテンツが生まれにくいっていう答えこそ、多くのユーザーの答えの一つでもあるんだろうけどネー。
:ミクさんみたいにユーザー主導で広まったコンテンツは長く続きやすいから、ゲームでもそういった手法をとるタイトルがあっても良いとは思うところなんだが。インディーズタイトルも増えることだし、そういう需要に応えるタイトルもそのうちでてくるのかもしれんな。
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個人的にはある程度道が決められてた方がプレイしやすいかなと思います
なにやってもいいといわれても逆に困ってしまうタイプですね