連載:気まぐれゲーム雑記 第190回:期待に応えるゲームというのは難しい、と言う話題
気まぐれゲーム雑記
第190回:期待に応えるゲームというのは難しい、と言う話題
期待される以上に期待が集まってしまうと中々大変そうだなぁ。
期待と絶望は紙一重
人間、誰しも何かしらに期待はしてしまいます。
それを抑制するのは結構難しいもので、その期待が大きければ大きいほど外れた時の反動は巨大なものとなります。それが荒れたり何だったりする原因になることもままあるわけです。
ゲームも例外ではなく、新作が発表されれば期待はしてしまうものですし、インターネットという情報媒体はワールドワイドに繋がっているのでどこまでも情報の広がりを見せます。……まぁ、見せ方や戦略など色々あるわけですが、昔に比べたら情報に接する機会が多大に増えたというのは間違いないことでしょう。
話が少々ズレたので軌道修正しまして、そんなゲームに期待をしてしまうわけですが、海外メディアのGame Informerが、期待の大きさ故に失望されてしまったゲームを紹介しています。詳しくはこちら。
まとめると次の様な感じです。
- 「Aliens: Colonial Marines」は多大な期待を寄せられていたが、その期待は木っ端微塵に砕かれた
- そういった例はままある事で、次のタイトルはそういうゲームの一例である
- 「Spore」は、発想は素晴らしいが開発元のMaxisはゲームプレイの構築に苦戦した
- 結果として、ビデオゲームの勢力図を一変させることはできなかったが、それでも楽しいゲームではあった
- 「Too Human」は、「Eternal Darkness」や「Metal Gear Solid: The Twin Snakes」で名を上げたディベロッパー「Silicon Knights」の作品だが、長引く開発や技術的な問題が足を引っ張り、発売後はゲーマーたちに失望された
- 「Homefront」は、「Call of Duty」に支配された市場により生々しく新鮮な戦争を描くと公約していたが、ありきりなゲームプレイと雑な仕上がりで的を外したし、THQ崩壊の一因になった
- 「Dragon Age II」は、「Dragon Age: Origins」でPCの古き良きRPGのファンを勝ち取ったにもかかわらず、ほとんど共通点がなくなってしまいファンの期待とは大きくずれていた
- 「Assassin’s Creed III」は、多くの要素はクールだったが広範囲に渡る技術的な問題が立ちはだかり、主人公はエツィオ(前作主人公)よりも魅力はなく、年刊リリースのせいでファンの我慢も限界に達しつつある(ただし、今でも十分に楽しいシリーズ)
- 「Mass Effect 3」は、エンディング問題でかなり多くのゲーマーが失望させられた
- 「ライオットアクト2」は、恐らく1作目の街を使い回したことが最大の過ちだが、単調なミッションや個性的なエージェントの欠如も傷に塩をぬった
- 続編というのは好評だった部分を拡張すべきだが、「ライオットアクト2」はなぜか縮小した
- 「BioShock 2」は、Big Daddyとしてプレーするという発想にファンは期待を膨らませたが、ありきたりなFPSの主人公と大差なかったし、Raptureも最初こそ素晴らしかったが、2度目はさすがに新鮮味が薄れてしまった
このように、海外でも期待しすぎて期待に応えられる出来映えになれなかった作品というのが多々あるようです。
というわけで、せっかくですから日本でこれから発売されるであろう作品に対して、期待しすぎると不安に思えてくるという作品を挙げてみようかと思う次第です。あ、その作品達はあくまでも、「個人的な独断と偏見に基づいた考え」ですので、あしからず。
一度外すと、軌道修正に期待していいのかわからない
まずは、「アーマードコア:ヴァーディクトデイ」でしょうか。シリーズはすべてやってきましたが、5のサービスイン時のサーバー不具合、一部の装備バグ、ボッチだとさほど楽しめないゲームデザインなどなど、残念ながらわたくしは訓練されたアーマードコア5プレイヤーにはなれませんでした。そんな5をベースにするわけですから、心配にならざるを得ません。
いやまぁ、むしろ今だからこそバグやら何やらを修正して、追加要素も加えて、ゲームデザインも軌道修正した完全版的位置付けの作品が出せるという事も考えられますが、一度付いた印象というのは中々消えにくいものです。
そもそも根本的に期待して良いのかどうか、よくわからないのが「FF13:ヴェルサス」です。存在自体が危ぶまれているのか何なのかもわかりませんし、2006年5月の発表からすでに6年以上……もうすぐ7年が経とうとしています。ですが、何も情報は出てきません。発表時、小学校1年生だった子供は中学生にジョブチェンジほどの年月が経っているのです。
すでに海外では、ヴェルサスがFF15になるとか何だとか色んな話題が出ていますし、そこに来てスクエニの業績赤字予想に「不要と思われるコンテンツは廃棄」と来たわけで、今後この作品がどういう風に扱われるのかは皆目分からないのです。
「討鬼伝」は、ソウルサクリファイスに続くVitaでのハンティングアクションとして期待が大きく集まりましたが、賛否両論となりました。両論というよりは、アンケートページをみている限りでは、修正を望む声の方が多い気がします。素材は良いモノだとは思うのですが、あのままではちょっとよろしくないですし、期待が大きいからこそ修正を望む声も大きいのでしょう。何となくですが、「開発が作ろうとした作品」の在り方がユーザーに正しく伝わっていなかった、ようには思えます。
他にも「ロストプラネット3」のコレジャナイ感や、「アサシンクリード4」の原点回帰やら挙げていたらきりがないのでここら辺にするとして、これらの作品に共通することは「よくわからない」という事です。情報がよくわからないので期待する事に対して不安になる、というものでしょう。また、一度路線を外した作品が軌道修正されるというのは良くある話ですが、その「原点回帰」やら「軌道修正」やらを完全に信じ込むには納得が出来ないほど苦い経験も味わった、というのも言えるのではないでしょうか。
各メーカーは「前作とはココがこう違う」と声高らかに明言した方が情報伝達としては良い手段ではないか? と思う時があります。各メディアは、基本的に褒め称えるような記事ばかりで構成されます。メディアの情報を完全に鵜呑みにするような事が少なくなっている現在においては、良い情報だけというのがどうしても納得し難いモノがあるように思えるのです。
例えば、「新・世界樹の迷宮」は、新シリーズながらに「どういった人にアピールしたくて、どういった人達には合わないかもしれない」というのを、公式ブログで何となく示唆しました。明言はしていませんが、読めば何となく伝わるモノはあると思います。そういった配慮も必要な時代になってきているという認識をメーカーは持った方がいいかもしれません。
我らゲーマーにとって、新作は期待したいものであるというのは違いありません。ですが、メーカーが今までやってきたであろうスタンスやら印象やら、そういうものは積み重なります。
話題にされているうちが華とも言いますし、今後諸手を挙げて期待できるような作品が多く出てきてくれる事を、期待しすぎない程度に期待したいものです。……それでも、なんだかんだと期待している作品も多いんですけどね。「The Last of Us」とか「ドラゴンズクラウン」とか「テラリア」とか……。
しょぼーんさんとしゃきーんさんのゲーム座談会
:世の中、今後も色んな作品が出るだろうけど、期待しすぎない程度に期待しようぜ!? と失望に対する保険をかける重要性を訴えてみました。
:ゲームブログとしてどうかとは思うが、期待しすぎた反動は大きいし評価も一気に下がるからなぁ。期待が大きい作品は良いんだが、大きすぎて収拾がつかないのはよろしくない気がするわ。
:すべてにおいて、凄く面白そう! っていう話ばかりメディアは取り上げるからね。まぁ、お金が絡む以上は仕方がないところなんだけど。それでも、期待値のコントロールに多少でも務めた方が良いんじゃなかろうかと思う次第。……それができりゃ、世の中苦労しないだろうけどネー。
:期待されすぎると、素材は良いのに一作で潰れる事もままあるしな。そういうバランス調整っていうのは、かなり大変そうだわ……。
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